全体概要

本セミナー「人間にできること ― 人間 vs 機械 Part I 進化と自然認識」は、情報化社会における機械の急速な進歩を前に、「人間とは何か」「機械に何ができて何ができないのか」という根源的な問いを正面から取り上げたものです [p.1]。

2000年代初頭にすでに丸山は、コンピュータによる労働代替への不安が人間の意識を深いところで規定し始めていると指摘していました [p.2]。そして2014年のラリー・ペイジの言葉を引きながら、人間が「何もしなくなること」への恐怖と、労働の意義そのものへの問い直しを冒頭の問題意識として提示しています [p.3]。

この問いに答えるために、講義は生物・人間・機械という三者の同一性と差異を多角的に検討します [p.5]。生物の「進化」が自然による客観的な選択過程であるのに対して、人間の「進歩」は目的意識に基づく主体的選択の結果であり、機械の「進化」もまた人間の創造意志の産物であるという、三者を貫く根本的な非対称性が本講義の基軸となっています [p.6, p.10]。

人間を他の生物から決定的に分かつものは言語能力であり、それが自然科学・数学という累積的知の体系を生み出す土台となりました [p.8, p.47]。感覚能力を拡張する観測機械の発展 [p.17, p.18]、文字・メディア・ネットワークへの言語能力の展開 [p.48]、そして数学的認識の深化 [p.64〜p.70] が、科学技術という「機械誕生の母胎」を形成してきた歴史的経緯が丹念に追われます。

最終的に講義は、シンギュラリティ論に対して懐疑的な立場を示しつつ [p.77]、機械の能力はあくまで人間の能力の一つの現れに過ぎないと結論づけます。そのうえで、人間と機械の「共生」関係は長く続くと見通し、その共生のあり方を考えることこそが現代人に課された重要な課題であると説いて締めくくります [p.81, p.82]。技術論であると同時に、人間論・文明論として深く読み込める講義資料です。

講義のロードマップ

ここでは、セミナーの講演資料がどのようなパートから構成されているかを示します。また、それぞれのパートのポイントを紹介します。

■ Part 1: 生物と人間と機械

人間・生物・機械の三者を比較する枠組みを設定し、「進化」「進歩」「機械の発展」がそれぞれ異なる原理に支配されていることを明確にします。生物の知的能力の連続性と、人間の言語能力という断絶を対比させることで、「人間とは何か」という問いの輪郭を鮮明に描きます [p.5〜p.10]。

■ Part 2: 人間の感覚能力の拡大

生物学的進化を超えた手段として、人間は機械を用いて感覚能力を飛躍的に拡張してきました。ただし観測機械はそれ自体では感覚を持たず、人間が解釈することで初めて「拡張された感覚」となります。また、大型加速器等は個人ではなく集団的・国際的な感覚能力の拡大として位置づけられます [p.17, p.42, p.43]。

■ Part 3: 言語能力の獲得と進化

約30万年前に獲得した言語能力が人間の知能を飛躍的に発展させ、抽象的概念の操作と社会的コミュニケーションを可能にしました。「文字」「メディア」「ネットワーク」はその言語能力の段階的な拡張であり、現代のネットワーク・メディアはその延長線上に位置します [p.46〜p.48]。

■ Part 4: 機械の誕生と進化

機械の普及は18世紀の産業革命を起点としますが、コンピュータとネットワークの登場によって機械の進化は質的に転換しました。この数十年の加速的変化が、「人間vs機械」という問いを現実的かつ緊迫したものにしています [p.57]。

■ Part 5: 数学的認識の誕生と発展

数学的認識は文字の誕生とほぼ同時期に萌芽し、科学革命を経てニュートン・ライプニッツの微積分、ガウス・リーマンの幾何学へと発展してきました。数学は単なる計算道具ではなく、自然認識そのものの「器官」であり、累積的に発展する知の体系です [p.64, p.70, p.72]。

■ Part 6: 機械に出来ること・人間と機械の「共生」

機械が「環境認識・働きかけ・記憶・コミュニケーション・自己再生産」をどこまで実現できるかを問いながら、シンギュラリティ論に批判的距離を置きます。人間の優位は科学・技術の領域で揺るがず、機械の能力は人間の能力の現れに過ぎないという立場から、長期的な「共生」関係の継続を展望します [p.75〜p.77, p.80〜p.82]。