講演資料
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全体概要
本セミナーは、2019年8月1日にMistletoe of Tokyoで開催された対談記録です。コンピューター科学者の丸山不二夫氏と、ガイナックスのアニメ監督・脚本家である山賀氏、そして司会の遠藤氏(角川アスキー総研)の三者が、「科学と虚構の未来」という大きなテーマのもと、約2時間にわたって縦横無尽に語り合っています。
この対談が根底に置く中心的な「問い」は、「なぜ21世紀の科学は、これほど豊かな進展を遂げているにもかかわらず、人々の心から遠ざかっているのか」という一点に集約されます。丸山氏は、科学とは単に「正しいことの集まり」ではなく、現実を超えた架空の世界を想像し、データを少し超えることによって初めてデータの構造が見えてくる、いわば「虚構をつくる力」と親和性を持つものだと主張します。その意味において、科学とフィクションは対立するものではなく、共通の認識論的基盤を持つと位置づけられています。
一方の山賀氏は、フィクションの世界は1万年前からその本質を変えておらず、むしろ身体的な体験から離れてフィクションがフィクションを産む「メタ化」が進行していると観察します。万葉集から新古今和歌集への変遷、初期ガンダムからエヴァンゲリオン以降のアニメへの変容が、その証左として挙げられています。人々がフィクションに求めるものは、食欲や生存の欲求から「あなたはここに生きて良い」という実存的な承認へと移行しているというのが山賀氏の見立てです。
両者の議論はさらに、AIと機械の本質、科学に対する社会的リスペクトの喪失、教育と科学のギャップ、核・環境問題、ラッダイト運動とフランケンシュタインの思想史的意味、そして人間と機械の共生論へと螺旋状に深まっていきます。科学は技術を生み、技術はビジネスを生むという本来の流れが逆転し、ビジネスから技術、技術から一部の人だけが科学へ向かうという現状への危機感が、対談全体を貫くトーンとなっています。最終的に丸山氏は、人類が危機を脱するには科学・機械・数学と「仲良くなる」しかなく、シンギュラリティではなく人間と機械の長期的な共生こそが現実的な未来像であると結びます。
講義のロードマップ
■ Part 1: 21世紀の科学への期待と「科学のイメージ」問題
- この部の核心:
丸山氏が冒頭に示す21世紀の科学への展望と、それと対になる深刻な懸念を整理するパートです。量子論と相対論の統一、量子コンピューター、新素材開発といった物理・情報科学の進展への期待が語られる一方、「正しいことの集まり」としての科学観が人々の科学離れを招いているという問題意識が提示されます。科学に必要なのは、データを少し超える想像力——すなわち「虚構をつくる力」と同質のもの——であるという本対談の核心命題がここで打ち立てられます [p.1], [p.2]。
- 論理展開:
- 量子コンピューターはあと10〜20年で情報・エネルギー分野を変革し、新素材開発の鍵となる [p.1]。
- ニュートンが微積分を、アインシュタインがリーマン幾何学を物理に応用したように、数学と物理の絡み合いは「架空の世界をつくる力」の産物である [p.2]。
- 「教えられたことが正しい」という思い込みは、天動説を信じながら星を見ない現代人の姿に象徴される [p.3]。
- 数学する力は生得的ではなく教育による後天的形成であり、科学教育の在り方が21世紀最大の課題となる [p.3]。
■ Part 2: フィクションの本質と「身体性の喪失」
- この部の核心:
山賀氏がフィクションの側から科学を照射するパートです。フィクションは100年・1万年単位では本質的に変化しておらず、発展を前提とする科学とは根本的に異なる時間軸で存在していると山賀氏は述べます。先進国における物質的充足を経て、フィクションが人々に提供するものは「生存の保証」から「存在の承認(あなたはここに生きて良い)」へと移行しつつあり、この変化がフィクションの未来を規定します [p.3], [p.4]。
- 論理展開:
- 万葉集(身体的体験の直接表現)→古今和歌集(解釈の介在)→新古今和歌集(フィクションのフィクション)という三大歌集の変遷が、フィクションのメタ化の歴史として提示される [p.4], [p.5]。
- アニメ業界でも、戦争体験世代が描いたガンダムと、エヴァンゲリオン以降の戦争を知らない世代の作品では「肌触り」が決定的に異なる [p.5]。
- 韓流コンテンツの人気は、日本コンテンツのメタ化・複雑化への反動として「生々しさ・身体性の回帰」として機能している [p.5]。
■ Part 3: 科学へのリスペクト喪失と教育・社会の問題
- この部の核心:
科学に対する社会的なリスペクトがなぜ失われたのかを、教育・価値観・メディアの三軸から分析するパートです。湯川秀樹のノーベル賞受賞が戦後日本に与えた「科学への誇り」という文化的空気が失われ、親や教師が「医者になれ」「Googleに入れ」と言う時代になったことが、科学と社会の乖離を象徴しています。また、科学から技術、技術からビジネスへという本来の流れが逆転していることへの強い危機感が表明されます [p.6], [p.7]。
- 論理展開:
- 数学オリンピックでメダルを獲る子が数学科に進学しない、コンピューターにはまった優秀な子が大学受験で失敗する——科学と教育制度のギャップが優秀な人材を逃している [p.6]。
- 技術はお金で買えるが、科学はお金では買えない。研究に経済的見返りを即座に求める風潮は科学にとって致命的である [p.7]。
- 欧米ではカール・セーガンやホーキングのような第一線の科学者が啓蒙書を書くが、日本にはその文化的回路が弱い [p.9]。
- ヒッグス粒子発見の記者会見で「現実的メリットは何か」と問うた日本の記者のエピソードが、科学軽視の縮図として語られる [p.8]。
■ Part 4: フィクションと科学の接合点——SFとアニメの可能性と限界
- この部の核心:
アニメ・SFが科学の価値を社会に伝える媒介となり得るか、またその条件は何かを探るパートです。言葉の力は人間に生得的に備わっているため、言葉に依拠するアニメやSFは広く人々に訴える力を持ちます。しかしアニメ側だけでは科学の本質的な意味を提示することはできず、カール・セーガンのような「科学の側からのロマンの発信」が不可欠だと山賀氏は指摘します [p.3], [p.8], [p.10]。
- 論理展開:
- 「NUMB3RS」のように数学者を主人公とした米国のテレビドラマがプライムタイムで人気を博した事例は、科学×エンターテインメントの相性の良さを示している [p.10]。
- 日本の若いエンジニアがカッコいいサイエンスではなく「ニコニコ技術部」的なダサさを意図的に演出するのは、真面目にやっても客がついてこないことへの反応である [p.11]。
- ライトノベルの電撃大賞で「剣と魔法の世界」を募集したら「学園もの」が集まったという逸話は、日本の若者の「戦争を知らない平和な身体性」を象徴している [p.10], [p.11]。
■ Part 5: AI・機械・欲望——シンギュラリティ論への反論と共生論
- この部の核心:
本対談最大の技術的論点です。丸山氏はシンギュラリティ(機械が人間を超える転換点)を否定し、現在のAIが言語理解・数学的推論・問題設定能力を持てない根本的理由として「欲望の欠如」を挙げます。生命が何万年もかけて進化させてきた食欲・性欲・自己保存の欲求が機械にはなく、この質的差異が現在のディープラーニング技術の根本的限界をなしているという議論は、フランケンシュタインやアトムの思想史的読解と交差します [p.12], [p.17], [p.18], [p.19]。
- 論理展開:
- シンギュラリティはAIの賢さではなく、「人間の愚かさ」(核のおどし合い、アマゾン開発)によって起きる可能性のほうが高い [p.12]。
- ディープラーニングの次の飛躍は自然言語理解・数学的推論であり、言語理解だけで後20年はかかる [p.17]。
- 鉄腕アトムが「善良」である理由、ターミネーターが「悪」を背負う理由は、人工知能への人間の欲望投影の裏返しであり、自己増殖欲求を持たないアトムは「欲望なき機械」の典型である [p.14], [p.15]。
- フランケンシュタインが博士に求めたのは「つがい(性欲・種の保存)」であり、自己増殖欲求こそが真の自律的存在の必要条件であることを示す思想的モデルとなっている [p.19]。
- 丸山氏の結論:人類は100〜200年以上にわたって機械と共存する「共生の時代」を経る必要があり、機械は人間の運動・感覚・認識能力の拡大装置として位置づけられる [p.20], [p.22]。
■ Part 6: 言語・数学・情報圧縮——人間と機械の知の協働
- この部の核心:
対談の締めくくりに向かうパートで、丸山氏が自らの核心的関心を披露します。言語の力とは単なるコミュニケーションツールではなく、「認識の飛躍のための情報圧縮装置」であり、人類が先人の経験を継承し文明を積み重ねてきた根幹です。数学もまた同質の情報圧縮力に依拠しており、この二つへの機械の参与——人間と機械の協働——こそが科学の未来を切り拓く鍵だと丸山氏は展望します [p.19], [p.23]。
