講演資料


講義資料スライドの表紙

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全体概要

本セミナー「エンタングルする認識 ── MIP*=REへ」は、マルレクの哲学セミナー「楽しい哲学」の一環として、2021年4月10日に開催されました。前回セミナー「エンタングルする自然」が21世紀の自然観の変容を論じたのに対し、本セミナーはその「認識論的側面」、すなわち人間がエンタングルメントをどのように形成・獲得してきたかを問います [p.2]

中心的な問いは、「自然と認識はどのようにエンタングルしているか」という深い問いです。自然が新しい相貌のもとに立ち現れることは、認識の飛躍が起きつつあることに他なりません [p.2]。筆者はエンタングルメントの認識こそが現時点での人間の認識能力の飛躍の中心舞台であると断言します [p.3]

議論の歴史的起点は1930年代に置かれます。フォン・ノイマンによる量子力学の数学的形式化(1932年)、アインシュタイン・ポドルスキー・ローゼンによるEPR状態の発見(1935年)、そしてチューリングによる停止問題の決定不能性の証明(1936年)という三本の流れが、数学・量子力学・計算科学の三分野にわたって同時期に展開されました [p.4]

セミナーは四部構成で進みます。第一部ではベルの定理とCHSHゲームを通じてエンタングルメントの実在を論じ、第二部では対話型証明(Interactive Proof)という新しい証明スタイルを導入します。第三部では量子コンピュータとBQPクラスを扱い、第四部でいよいよ2020年の金字塔「MIP*=RE定理」へと至ります [p.8]。この定理はコンピュータ科学・数学・物理学の三分野にまたがる歴史的達成として位置づけられ、エンタングルした「全能者」との対話によって人間の認識能力がいかに拡張されうるかを数学的に証明するものです。また「ミネルバのフクロウは黄昏に飛び立つ」という言葉を引いて、科学への哲学的アプローチが過去から現在の到達点をオーバービューするのに意義を持つことを強調します [p.7]


講義のロードマップ

■ Part I: エンタングルメントの実在の認識 ── CHSHゲーム

  • この部の核心:

1935年のEPR論文を起点に、アインシュタインが「馬鹿げた遠隔作用」と呼んだエンタングルメントが、ベルの不等式(1964年)とアスペクトの実験(1982年)によって理論・実験双方から実在することが確認される過程を論じます [p.19], [p.21], [p.22]。CHSHゲームという定式化を通じて、古典論的相関と量子論的相関の違いが「勝率」という測定可能な量に帰着されることを示します [p.75]。さらに、AdS/CFT対応(1997年)・笠-高柳公式(2006年)・ER=EPR仮説(2013年)へと連なる現代物理学の文脈でエンタングルメントの意義が再評価されます [p.24], [p.27], [p.32]

  • 論理展開:
  • EPR論文(1935年)でエンタングルメントが「パラドックス」として登場し、NYタイムズが報道 [p.16], [p.18]
  • ベルの定理:「隠れた変数論」が従うべきBellの不等式を導出し、量子論がこれを破ることを証明 [p.21]
  • CHSHゲームの定式化:古典論的最大勝率 3/4 vs. 量子論的最大勝率 cos²(π/8) ≈ 0.8125 [p.75]
  • ER=EPR仮説:ワームホール(Einstein-Rosen Bridge)とエンタングルメントが同一である可能性 [p.32], [p.33]


■ Part II: 「全能者」との対話で得られる認識 ── Interactive Proof

  • この部の核心:

数学的証明の困難さ(誤った証明、膨大な証明、コンピュータ支援の必要性)を背景に、証明を「証明者(Prover)」と「検証者(Verifier)」の対話として捉え直すInteractive Proofの革命的な視点を導入します [p.104]。この証明観の転換により、従来のNP完全に収まっていた証明の射程が大幅に拡張され、IP=PSPACEおよびMIP=NEXPという驚異的な結果が得られることを示します [p.164]。さらに証明と確率・近似の世界が結びつく「確率的に検証可能な証明」という重要概念が浮上します [p.175]

  • 論理展開:
  • グラフの非同型問題:NPを超える複雑性がInteractive Proof手法で初めて証明された [p.107], [p.160]
  • IP=PSPACE(1991年)、MIP=NEXP(1991年):対話型証明が古典的計算限界を大幅に拡張 [p.164]
  • nonlocalゲームとInteractive Proofが同じ構造を持つことの発見(2004年, Cleve et al.)[p.166], [p.280]
  • 証明の正しさは「演繹から導かれる」ではなく「検証されることで確立される」という証明観の転換 [p.174]


■ Part III: 量子コンピュータの能力の認識 ── BQPクラス

  • この部の核心:

ファインマンの「自然のシミュレートには量子コンピュータが必要」という洞察(1982年)を起点に、量子複雑性理論の誕生(Bernstein-Vazirani, 1993年)、ショアのアルゴリズム(1994年)による素因数分解のBQP帰属という衝撃的発見を概観します [p.188], [p.193], [p.197]。プレスキルが提唱した「量子優越性(quantum supremacy)」の概念と、Googleによる実験的実証(2019年)を検討します [p.221], [p.241]

  • 論理展開:
  • BQPクラスの定義:量子チューリングマシンで多項式時間・有界誤差で計算可能なクラス [p.194]
  • ショアのアルゴリズム:素因数分解∈BQP、古典コンピュータでは指数関数的時間が必要 [p.198], [p.200]
  • Google Sycamoreプロセッサ:53量子ビット、量子回路100万回サンプリングを200秒で実行。古典スーパーコンピュータでは推定1万年(IBMの反論:2.5日)[p.241], [p.250]
  • 量子優越性とは「古典システムは高度にエンタングルした量子システムを効率的にシミュレートできない」こと [p.221], [p.226]


■ Part IV: 「エンタングルする知性」の認識 ── MIP*=RE

  • この部の核心:

本セミナー最大のハイライトです。MIP*(エンタングルメントを共有する全能の量子的証明者二人とのMulti-Prover Interactive Proof)というクラスが、帰納的可算言語のクラスREと等しい、すなわちMIP*=REであることを2020年にJi・Natarajan・Vidick・Wright・Yuen(JNVWY)が証明したことを論じます [p.270], [p.272]。この結果は計算複雑性理論の枠を超え、「ティレルソン問題」の否定的解決および「コンヌの埋め込み予想」の反証という数学・物理学への重大な含意を持ちます [p.272]。Introspectionとゲームのcompressionを繰り返すことでRE⊆MIP*を導く証明の構造も示されます [p.300], [p.301]

  • 論理展開:
  • NEEXP⊆MIP*(2019年, Natarajan-Wright):エンタングルしたProverは古典的Proverより指数関数的に強力 [p.299]
  • IntrospectionとCompressionの反復適用によりRE⊆MIP*を証明、MIP*=REが確立 [p.300]
  • 副産物①:nonlocalゲームのエンタングルした値の決定不能性(停止問題への還元)[p.272]
  • 副産物②:ティレルソン問題への否定的回答・コンヌの埋め込み予想の反証 [p.272], [p.275]
  • 認識論的含意:エンタングルした「全能者」は我々が認識する「自然・宇宙の人格化」であり、その「有限な認識への還元プロセス」を数学的に定式化できることが人類の認識の希望となる [p.307]

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