全体概要

本セミナーは、「人間はいかにして世界を認識するか」という根源的な問いを中心に据えています。単なる認知科学や脳科学の講義ではなく、生命の誕生から現代の情報技術に至るまでの「自然史・技術史」という壮大なスケールのなかに、人間の認識能力を位置づけようとする試みです [p.2, p.3, p.13]。

まず講義は、人間の認識能力そのものが自然の進化の産物であるという立場を明確にします。視覚・触覚・嗅覚・聴覚・味覚といった五感は、カンブリア爆発以来の生物進化の文脈で育まれたものであり、その神経基盤であるニューロンの働きもまた、自然史の一部として捉えられています [p.20, p.46]。

次いで講義は、人間固有の能力へと焦点を移します。デカルトが「理性」として定式化した、すべての人間に共通する判断能力 [p.18] は、望遠鏡・顕微鏡・電波望遠鏡・重力波観測装置といった「感覚能力の外的拡大」装置の発明・活用と結びつくことで、自然認識の地平を劇的に押し広げてきました [p.70, p.71]。

さらに、時間感覚という特殊な認識テーマを通じて、生物学的な体内時計から原子時計、そしてGPSによるナノ秒単位の同期へという「時計の精度の歴史」が語られ、人間の時間認識がいかに外的機械と融合してきたかが示されます [p.98, p.101, p.113]。

記憶の外的拡大という観点では、口承・文字・印刷・検索エンジンという情報蓄積・伝達メディアの系譜をたどり、人間が遺伝子によらず世代間で情報を継承できる唯一の生物であることが強調されます [p.120, p.121]。

1950年代のシャノン、フォン・ノイマン、チューリング、ワトソン&クリックによる「情報の時代」の幕開け [p.142] を経て、21世紀のGAFAの覇権、クラウド・モバイルの時代へと歴史は続きます [p.163]。最後に言語能力が、チョムスキーの「普遍文法」論、FOXP2遺伝子の発見、ディープラーニングという複数のアプローチから検討され、認識の認識へと問いが深化していきます [p.178, p.181, p.187]。

講義のロードマップ

ここでは、セミナーの講演資料がどのようなパートから構成されているかを示します。また、それぞれのパートのポイントを紹介します。

■ Part 1: 認識と情報の全体フレーム

本講義全体の問題設定を提示します。「情報と認識」「自然認識の拡大」「数学的認識」「認識の認識」という四つの柱が示され、人間の認識を科学史・情報理論の言葉で語り直すという方法論的立場が明確にされます [p.9, p.13]。科学の認識の歴史もまた「自然史の一部」であるという視点は、本講義全体を貫く基軸です [p.13]。

■ Part 2: 感覚と情報 ― 五感の神経基盤

視覚・触覚・嗅覚・味覚・聴覚という五感それぞれの受容器構造と神経処理の仕組みを概観します。HubelとWieselの大脳視覚野研究がニューラルネットワーク研究の出発点となったという技術史的接続が重要な論点です [p.25]。感覚とは「外界からの情報を受け取り変換するシステム」であるという情報論的視座が一貫しています。

■ Part 3: 計算するニューロン ― 重みとバイアスのモデル

ニューロンの発火メカニズムを「重み付き線形和+バイアスによる閾値判定」という数理モデルで定式化します。これは現代のディープラーニングの最小単位と数学的に同一であり、生物の神経回路と機械学習が同根であることを示す決定的な接続点です [p.60, p.68]。

■ Part 4: 感覚能力の外的拡大 ― 視覚

人間は生物学的な進化とは別の経路、すなわち機械の発明によって視覚能力を拡大してきました。ガリレオの望遠鏡からLISA宇宙重力波観測機まで、この拡大のスケールは宇宙的なレベルに達しています [p.70, p.71, p.94]。科学革命の駆動力として、「理性」という思想的条件に加えて、こうした観測装置の技術革新が不可欠であった点が強調されます。

■ Part 5: 感覚能力の外的拡大 ― 時間感覚と時計の同期

生物の体内時計(サーカディアンリズム・テロメア)から原子時計・GPS同期へという「時間認識の外的拡大」の歴史を追います。2017年・2009年のノーベル生理学・医学賞が示すように、時間感覚は分子レベルで生物に刻み込まれた能力です [p.98]。そこから「同時性」の認識という近代的概念の形成へと論が展開します [p.110]。

■ Part 6: 記憶能力の外的拡大 ― 世代から世代へ

人間は遺伝子によらず言語・文字・メディアを通じて世代間で情報を蓄積・伝達できる唯一の生物です [p.120]。これは「認識の外的拡大」の最も根本的な形態であり、人類の「進歩」の条件そのものです。口承叙事詩から検索エンジンまでの系譜は、記憶のメディア進化史として読み解けます。

■ Part 7: 情報の時代の幕開けと新段階

1950年代に同時並行で起きたシャノンの情報理論、フォン・ノイマン・アーキテクチャ、チューリングの人工知能構想、DNAの二重らせん構造解明という四つの革命は、「情報」という概念を科学・技術・生命にまたがる統一的なキーワードとして確立しました [p.142]。21世紀にはGAFAの覇権とクラウド・モバイルの普及が新段階を画しています [p.163]。

■ Part 8: 言語能力と認識の認識

言語能力は人間という種を定義する中心的特質であり、チョムスキーの「普遍文法」論、FOXP2遺伝子の発見、ディープラーニングという三つの異なるアプローチから多角的に探求されます [p.178]。有限な語彙から無限の文を生成するRecursionの能力は、数の概念の無限性とも深く結びついており [p.183]、認識の最も高度な形態としての「数学的認識」へと問いをつなげます。