全体概要

このセミナーは、「Cyber-Physical Systems(CPS)とは何か」という問いを出発点に、コンピュータが支配するCyberな世界と物理法則が支配するPhysicalな世界の「結合」が、現代のIT技術に何をもたらすのかを深く探求するものです。

「Internet of Things(IoT)」という言葉がKevin Ashtonによって1999年に提唱されて以来 [p.4, p.5]、日本では「ユビキタス」という概念が政策的に推進されましたが [p.7, p.8]、2006年に米国NSFがCPSを最重要研究分野として位置づけ [p.23, p.24]、世界の技術潮流は大きく動き始めました。CPSとは、コンピュータの計算能力(Cyber)と現実の機械・物理系(Physical)が双方向に強く結合したシステムであり、ビッグデータ論のように「PhysicalからCyberへの一方通行」に留まらない、より豊かな双方向性を持つ概念です [p.15, p.17, p.18]。

セミナーはその技術的・学術的な問いに留まらず、ドイツの「INDUSTRIE 4.0」 [p.39]、米国オバマ政権の「Advanced Manufacturing Partnership」 [p.33, p.35]、GoogleのProject Ara [p.49] といった産業・政策的動向を横断的に論じます。さらに、CPSが挑む本質的な技術課題として「タイミング」の問題 [p.71, p.72]、分散データベースにおける時計同期の重要性 [p.80, p.96]、そしてGoogleのSpannerが実証したグローバル分散トランザクション [p.95, p.99, p.100] を詳細に解説します。

最後に、CyberとPhysicalの統合という視点から情報システム全体を捉え直し、「データの中央集約型」対「自律分散型」というアーキテクチャ上の根本的な対立軸を提示します [p.148, p.150, p.158]。Church-Turing-Deutsch命題が示すように、計算過程はすべて物理過程であり [p.145, p.146]、CyberとPhysicalは本質的に切り離せないという哲学的・技術的洞察がセミナー全体を貫く深層テーマです。

講義のロードマップ

ここでは、セミナーの講演資料がどのようなパートから構成されているかを示します。また、それぞれのパートのポイントを紹介します。

■ Part 1: Cyber-Physical Systemとは何か

CPSの定義を明確にし、IoTやビッグデータ論との異同を整理します。CyberとPhysicalはそれぞれ「数学的原理」と「物理法則」という異なる原理に支配されており [p.13]、CPSはその二つの世界が双方向に結びついたシステムであるという基本図式を確立します [p.14, p.15]。

■ Part 2: Cyber-Physical Systemsの歴史での重要な出来事

NSFによる2006年のCPS研究プログラム立ち上げ [p.23, p.24] から、米国の製造業復興政策(AMP、NNMII)[p.33, p.36]、ドイツのINDUSTRIE 4.0 [p.39]、GoogleのProject Ara [p.49] に至るまで、CPSが世界の産業・政策の中枢に位置づけられていく過程を時系列で追います。

■ Part 3: Cyber-Physical Systemsが挑戦している課題

Edward Leeの議論 [p.58] を軸に、CPSの本質的技術課題を解き明かします。最大の難関は「タイミング」です。現行のソフトウェア抽象(C, Java等)はタイミングをセマンティックスの一部として扱っておらず [p.71]、Cyberな計算とPhysicalな物理系を統合するうえで深刻な「地図の欠如」を生じさせています [p.68, p.70]。

■ Part 4: Cyber-Physical Systemsとして情報システムを捉え直す

CyberなシステムであるはずのデータベースやクラウドがPhysicalな制約から逃れられないことを論じます。GoogleのSpanner [p.95] は、GPSと原子時計による厳密な時計同期を利用したSnapshot Isolation [p.101] によって、グローバル規模での外的整合性を世界で初めて実現しました [p.100]。これはデータベースがCyber-Physical Systemsとして設計されたことを意味します [p.96]。

■ Part 5: 自律分散というアプローチ

現実世界の情報を一か所に集約する「データ集約型モデル」に対し、「自律分散」という設計思想を提示します [p.148, p.150]。生命、脳、社会的昆虫、人間の経済社会など、自然界・人間社会の複雑なシステムの多くが自律分散のスタイルをとっており [p.155, p.156, p.157]、このアーキテクチャがシステムの頑健性と情報爆発の抑制に本質的に寄与します [p.158]。

■ Part 6: これから考えるべきこと

新しいネットワーク・メディアの全地球的成立 [p.160] と、ロボット・3Dプリンターが引き起こす製造現場の変革 [p.162] を受けて、21世紀の最大課題として「生産の自律分散化」による持続可能な経済ネットワークの形成を提示します [p.164]。