量子コンピュータを やさしく理解する三つの方法

2019/03/25 マルレク「量子コンピュータをやさしく理解する三つの方法」概説

量子コンピュータを難しく感じている人は多いと思います。それにはいろいろな理由があるのですが、このセミナーで伝えたいことは、おもに二つあります。

一つは、量子の世界の理解が難しい本当の理由は、量子の世界がとても不思議な世界であるということにつきます。セミナーでは、その不思議さを伝えたいと思います。これについては、不思議だが自然はそうなっているんだと納得するしかないように思います。それが出発点です。

もう一つは、それではそうした不思議さに、どう向き合うかということです。ビジネス志向で量子コンピュータに関心を持ってもらうのも結構ですが、残念ながら、まだまだ市場が成熟している訳ではありません。ビジネス志向だけだと、現状にきっとがっかりします。僕が考えているのは、そこには「知的好奇心」が必要だということです。

むしろ重要なことは、ビジネスが成熟して多くの人が参入できるまでの時間的猶予があるということだと考えています。その間に、それぞれが準備すればいいのです。きちんと時間をとって勉強しなければなりませんが。

幸いなことに、こうした状況を反映して、量子コンピュータをわかりやすく理解するための方法が、いろいろ模索されています。セミナーでは、それらの試みから、次の三つを紹介します。

Terry Rudolph のアプローチ

一つ目は、Terry Rudolph の、PETEという不思議な箱の振る舞いを通じて、量子の世界を考えさせるアプローチです。彼の紹介している量子ゲームは、どう考えても勝てないはずなのに、PETEを使えば、テレパシーを使ったみたいに勝てるという不思議なものです。

Terry Rudolphの本は、著者自身が、「15歳の時の自分に向けて書いた」と言っているように、中・高生の読者をも意識したものだ。その特徴は、一切、数式を使わないところにある。
古典的な論理ゲートとの対比で、ボールを入れるとボールが出てくるPETEという名前の不思議なボックスの振る舞いを通じて、量子ゲートの働きを直感的に理解させようとする。
Terry Rudolphの本で興味深いのは、「エンタングルメント」のトピックを、真正面から取り上げていることである。「エンタングルメント」という言葉や概念は用いていないのだが、彼の本の「超能力者ゲーム」は、「エンタングルメント」の不思議さを、中高生にもわかる形で見事に表現した出色のものだと思う。

Umesh Vazirani のアプローチ

二つ目は、Umesh Vazirani らの、量子論の前提を簡単に整理して、そこから高校生程度の数学で、量子の振る舞いを理解するというアプローチです。僕の「紙と鉛筆 … 」のシリーズは、彼の方法にインスパイアされたものです。「マッハ・ゼンダー干渉計」での光の不思議な振る舞いも、これで理解できます。「紙と鉛筆で学ぶ量子コンピュータ入門演習 (2019)

Umesh Vaziraniのアプローチは、高校生・大学生をターゲットにしたものである。このアプローチでは、数学が必要になる。ただ、ここが重要なことなのだが、そこで利用される数学は、高校生でも理解できる、ベクトルと行列の演算を中心とする初歩的な線形代数である。 
線形代数にも難しい部分があるのだが、量子コンピュータを構成する量子ゲートの基本的な働きを知るには、難しい数学は必要ないのだ。実は、こうした「わかりやすさ」は、これまで見落とされてきたことである。
Vaziraniのアプローチの特徴は、広い分野からなる難しい量子力学から、基本的な量子の情報理論を分離して取り出すことである。そして、量子の振る舞いの基本原則を、公理化して単純化し、そこから出発する。
量子情報理論にフォーカスした、Vaziraniのアプローチは新しいものである。量子論をわかりやすく理解しようと思ったら、古い量子力学の体系から学び始めるのではなく、新しいフレームで学び始めるのが一番である。

 Bob Coecke のアプローチ

三つ目は、数式を使わずに、String Diagram という図形を使って、その直感的な変形操作で、量子の振る舞いを理解させようというBob Coeckeらのアプローチです。特に、彼がフォーカスしている、「量子テレポーテーション」の説明は、とても興味深いものです。「量子過程を図解する「String Diagram入門 」(2019)

量子論は100年以上の歴史を持ち、フォン・ノイマンの体系化からも80年以上経っている。量子論は、ある意味、古い学問でもある。しかし、量子論は、どんどんその姿を変えている。残念ながら、物理の「専門家」でも、そのことに気づいていないという。(小論の三番目のepigramでのVlatko Vedral の「驚き」を見るのがいい)
小論が紹介する第三番目のBob Coeckeらのアプローチの背景には、こうした量子論自体の大きな変化がある。彼が対象としているのは、大学生である。あるいは、量子論をある程度理解している人を対象にしている。なぜか? これまでの量子論理解の枠組みは、量子論の新しい展開の前には、必ずしも「わかりやすい」とはいえないことが明らかになってきているからだ。

そのことは、Bob Coeckeが物理学者に向けて問いかけた次のような言葉を見ればはっきりする。
「エンタングルメントが発見されてから、物理学者がその重要な帰結である量子テレポーテーションを発見するまで、なぜ60年もかかかったのだろうか?」 彼の答えは、「量子の情報過程とこの構成を記述する言語が不十分なものだったから」というものだ。それは物理学者にとっても旧来の枠組みが、新しい量子現象を理解するには、「わかりにくい」ものだったということに他ならない。 彼は、新しい「言語」として図形(Diagram)を使うことを提案する。数式を使うことをやめ、図形を使って、図形に対する直観に依拠して量子過程を「絵解き」しようとする。その方が「わかりやすい」はずだと。
Bob Coeckeの主要な関心は、「エンタングルメント」と「量子テレポーテーション」を、わかりやすく理解させることにある。「エンタングルメント」は、cup状の一本の弧で表現され、「量子テレポーテーション」は、連続的に変形する図形が、ついには一本の直線になることで説明される!

みなさんの「知的好奇心」に期待する

小論のタイトルを、「量子コンピュータをやさしく理解する三つの方法」としたのだが、実は、ここで紹介した三つの方法は、その対象読者も、「わかりやすさの」狙いも、それぞれ異なっている。Terry RudorphとBob Coeckは、できるだけ数式を使わないようにしているのだが、その理由は異なっている。Vaziraniは数式を使うのだが、それにも理由はある。

小論が伝えたいことは、様々なレベルで「わかりやすさ」の探求が始まっていることと、それにはそれぞれ理由があるということである。また、こうした変化は、新しい時代の始まりの予兆だと僕は考えている。
「わかりにくさ」の根源ははっきりしている。量子の世界は、直感とははなれた不思議な世界だからである。ただ、いずれ我々は、その不思議な世界を、科学の力で捉えて、技術やビジネスに取り込んでいくだろう。
量子ビジネスの立ち上がりの時期を予想するのは難しいのだが、それは、明日でも来月でもないのははっきりしている。ただ、それを準備する時間があるのは幸運なことだと思う。それを今からドライブするのは、まず、皆さんの「知的好奇心」だと、僕は考えている。

資料 量子コンピュータをやさしく理解する三つの方法(ダウンロード

量子コンピュータをやさしく理解する三つの方法 -- はじめに (ダウンロード

量子の不思議な世界 (ダウンロード

  • Mach Zehnder 干渉計
  • エンタングルメント
  • 量子テレポーテーション
  • ER=EPR あるいは GR=QM

Terry Rudolf のアプローチ (ダウンロード

  • 古典的な論理ゲート
  • 量子論理ゲートPETE
  • 超能力者ゲーム

Umesh Vazirani のアプローチ (ダウンロード

  • 量子論の三つの原理
  • 量子過程の二つの配置
  • Mach Zehnder 干渉計の実験
  • PETE Boxと超能力者ゲームを紙と鉛筆で計算する
  • Quantum Teleportation

Bob Coecke のアプローチ (ダウンロード

  • String Diagram入門
  • 量子過程を String Diagramで表す
  • 量子テレポーテーションをString Diagramで表す