Yet Another AI -- RPAは「推論エンジン」の夢を見るか

2019/7/29 マルレク

概要:https://yet-another-ai.peatix.com/
資料ダウンロード:http://bit.ly/30VzVpy

資料viewer

「はじめに」から

小論は、「Yet Another AI」 すなわち、「別のAI技術」についての筆者の考えをまとめたものである。端的に言えば、現在のAI技術の主流である「ディープ・ラーニング技術」以外の人工知能技術にも、技術者の目を向けさせることを目的としている。

あらかじめ断っておきたいのだが、筆者は、ディープ・ラーニング技術を否定するつもりはない。全くその反対である。ディープ・ラーニング技術は、画像認識・音声認識・自動運転等々で、画期的な成果を挙げてきた。その技術は、未来の人工知能技術を底辺で支えるだろうし、それに必要なノウハウは、IT技術者にとって必須の「常識」になるだろうと考えている。

小論で筆者が問題にしているのは、「人工知能技術=ディープ・ラーニング技術」という「同一視」であり、かつその上に形成された「人工知能技術=ディープ・ラーニング技術」で「なんでもできる」という「万能論」である。

小論の第一部「「AI=ディープ・ラーニング」論の現在」では、最近一部で関心を集めているRPAを取り上げ、その技術とディープ・ラーニング技術の接点を紹介しようと思う。両者は接点を持たないという立場から、両者を真剣に結びつけようというものまで、スペクトルは様々である。

興味深いのは、こうした事例を通じてわかることは、ディープ・ラーニング万能論は影をひそめ、ディープ・ラーニングに対する「現実主義的」な評価が台頭してきていることであるように思う。

小論の問題意識の一つは、第三部以下で展開されるように「機械による論理的・数学的推論は可能か?」と言うものなのだが、第一部では、ディープ・ラーニング技術でこうした課題を解くことに挑戦した、GoogleのDeep Mindの試みを、少し詳しく紹介しようと思う。

人工知能技術が、究極的には人間の知能の機械による代替を目指す技術であるなら、我々はまず、人間の知能がどのような特徴を持つものであるのかをよく知らなければならない。そのためには、人間の知能が辿った道を振り返るのが有効である。

小論の第二部「複数の人工知能技術」では、歴史的に形成された人間の知能の階層構造に対応する人工知能技術の四つのタイプを提案している。それぞれの人口知能技術は、知能のある能力の一面をカバーするのだが、一つの人工知能技術が、人間の知能を全てカバーすることはないと筆者は考えている。

多分、問題はその先にある。こうした技術が成熟すると、我々は「考える機械」を構成できるのだろうか? 筆者は、直観的には、まだ、何かが欠けていると感じている。そのあたりの問題を 「8/1 丸山x山賀対談「科学と虚構の未来を語る」」で話せればと思う。

小論の第三部「機械による数学的推論は可能か?」では、人工知能技術の多様な類型の中では、ディープ・ラーニング技術から一番遠いと言ってよい、機械自身に数学的・論理的推論を行わせようとする技術を紹介しようと思う。

この技術の源流は、人工知能技術どころかコンピュータ自身が存在しなかった時代の1930年代に、数学の基礎の反省の中で生まれた「証明可能性=計算可能性」という認識だった。

それから40年後の1970年の前後に、コンピュータの普及の中で新しい「型の理論」が登場する。その認識のポイントは、数学的命題は「型」を持ち(Proposition as Type)、数学的証明は、その「型」の「要素」とみなせる(Proof as Term)と言うことだった。この認識は、コンピュータのプログラム自身が、ある定理の証明に他ならない(Program as Proof)という認識を生み出す。

それから40年たった2010年代、数学者Voevodskyは、新しい型の理論「Homotopy Type Theory」をひっさげて、現代数学全体をコンピュータ・プログラムの形で記述しようというUniMathプログラムを立ち上げる。

「機械による数学的推論は可能か?」という問いは、意外な、しかも身近なところに答えを見つけるのだ。「コンピュータのプログラムが行なっていることは、数学的推論に他ならない」と。

こうした「コンピュータ・プログラム=定理の証明」という認識は、我々にとって、実践的で重要な意味を持っている。小論の第三部では、こうした認識がソフトウェア・エンジニアリングの領域に与えるインパクトを、Deep Specificationの世界の紹介を通じて行なおうと思う。

参考資料

当日の様子です